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東京高等裁判所 平成6年(行ケ)176号 判決

フランス国

75755 パリ セデ 15、アベニューデュ メーヌ、33番地、ツール メーヌ モンパルナス

原告

ジュベイナル エス.エイ.

同代表者

ロジャ ハンナ

同訴訟代理人弁護士

片山英二

伊藤尚

同弁理士

三宅正夫

井出正威

同訴訟復代理人弁理士

小林純子

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 清川佑二

同指定代理人

柿崎良男

市川信郷

関口博

主文

特許庁が平成2年審判第5267号事件について平成6年2月21日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

主文と同旨の判決

2  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、1985年1月15日付けフランス国出願に基づく優先権を主張して、昭和61年1月14日、名称を「ラクツロースを主成分とする下剤組成物及びその製造方法」とする発明について特許出願(昭和61年特許願第4430号)をしたところ、平成1年12月7日拒絶査定を受けたので、平成2年4月10日審判を請求し、同年審判第5267号事件として審理されたが、平成6年2月21日、「本件審判の請求は、成り立たない。」(出訴期間として90日附加)との審決があり、その謄本は同年3月28日原告に送達された。

2  本願の特許請求の範囲第1項記載の発明(以下「本願発明」という。)の要旨

(a)  63重量%よりも小量の水溶性乾燥物質を含有する水性ラクツロースシロップを20乃至90℃の温度に加熱すること、

(b)  シロップの重量に対し0.1乃至1重量%の割合の水溶性カルシウム又はマグネシウム塩とこの塩及びpH調節剤を添加したシロップのpHが2.5乃至5となる量の薬学的に許容し得るpH調節剤とを前記ラクツロースシロップに添加すること〔ただし、工程(b)は工程(a)の前、同時に、あるいは後で行うことができる〕、

(c)  20乃至90℃に加熱し、かつ前記の塩とpH調節剤とを添加したシロップにエステル化したカルボキシル基が50%より少ないペクチンをシロップの重量につき0.1乃至5重量%添加すること、

(d)  このシロップとペクチンとを少なくとも5分間攪拌すること、及び、

(e)  このシロップとペクチンとをゼリー化の生ずる温度に放冷することよりなる、

ラクツロースを主成分とする下剤組成物の製造方法。

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2)  これに対して、米国特許第3272705号明細書(以下「引用例1」という。)には、ラクツロースを主成分とする下剤組成物が記載されている。米国特許第3867524号明細書(以下「引用例2」という。)には、歯根膜炎の治療にラクツロース含有組成物が用いられること、同組成物の一形態としてゼリー形態で用いられること、そしてゼリー化剤としてペクチンが用いられることが記載されている。原田篤也他1名編著「総合多糖類科学(下)」昭和49年12月1日株式会社講談社発行 第506頁、507頁(以下「引用例3」という。)には、ゼリー形成に用いられるペクチンには高メトキシペクチンと低メトキシペクチンの両者が用いられること、高メトキシペクチンのゼリー形成のためにはペクチン-酸-糖が一定の比率で配合されなければならないこと、これに対し低メトキシペクチンは酸も糖も必要ではなく、Ca、Mgなどの2価以上の金属イオンの作用でイオン結合型のゼリーを形成することが記載されている。

(3)  そこで、本願発明と引用例1に記載のものを対比すると、引用例1にはラクツロース含有組成物としてラクツロース55g、ガラクトース5g、ラクトース10g及び水30gより成る水溶液組成物の製造方法が示されているので、両者は、ラクツロースを主成分とする下剤組成物の製造方法の点で一致し、本願発明は前記(a)ないし(e)の工程から成るペクチンをゼリー化剤とするゼリー化したラクツロースを主成分とする下剤組成物の製造方法であるのに対して、引用例1にはこの点は示されていない点で相違するものと認められる。

(4)  上記相違点について検討する。

〈1〉 本願発明の工程(a)の63重量%よりも小量の水溶性乾燥物質を含有する水性ラクツロースシロップを、工程(c)のエステル化したカルボキシル基が50%より少ないペクチンでゼリー化する点について。

(イ) 同工程(a)の63重量%よりも小量の水溶性乾燥物質を含有する水性ラクツロースシロップは、明細書の記載によれば、一般にラクツロースはシロップの45ないし55重量%であり、その他ラクトース、エピラクトース、ガラクトース等が5ないし12重量%を占めるものであることが示されており(甲第2号証14頁9行ないし14行)、水溶性乾燥物質のシロップ中の含量を63重量%以下と規定したのは、該含量以下では医薬用として通常用いられるメトキシ化率50%以上の高メトキシペクチンによってはゼリー化できないが、それ以下の低メトキシペクチンによればゼリー化できることによる(同10頁17行ないし11頁10行)ものと認められる。

(ロ) 引用例2の記載をみると、前記のようにラクツロース組成物はペクチンでゼリー化できることは示されているが、ゼリー形態のラクツロース組成物の組成、用いるペクチンの種類及びその製造方法については明示されていない。しかしながら、シロップ組成物において50重量%ラクツロース、5重量%ラクトース、約8重量%ガラクトース、残部水からなるもの、乾燥組成物において約40重量%ラクツロース、約4重量%ラクトース、約6重量%ガラクトース、残部デキストリン マルトースからなるものが示されていることから、ゼリー形態組成物においてもラクツロースの含量割合は、約40、50重量%のものと推定され、該シロップ組成物中のラクツロース及び水溶性物質であるラクトースとガラクトースの水溶性乾燥物質の割合は本願発明の工程(a)で規定される63重量%と同じであり、その程度のラクツロース及びその他の水溶性乾燥物質を含有するシロップはペクチンでゼリー化できることを示しているものと認められる。さらに引用例2には、ラクツロースは便秘薬として知られていることから前記用途に対しては下痢を生じない程度の用量で該組成物を適用しなければならないことが記載(第1欄41行、42行)されていることからみて、引用例2は前記用途の組成物としてのみならず、下剤組成物となり得るものについてもゼリー化できることが示されているものと認められる。そうすると、本願発明の前記工程における63重量%程度の水溶性乾燥物質を含有する水性ラクツロースシロップをペクチンでゼリー化しようとすることは、引用例1及び2の記載に基づいて当業者が適宜なし得ることと認められる。

(ハ) ゼリー化剤として用いられるペクチンとしては、引用例3に示されるように高メトキシペクチンと低メトキシペクチンが存在し、前記のようにゼリー化の条件は異なるとしても、食品のみならず医薬品等(必要ならば引用例3の232頁参照)にいずれも必要に応じて適宜に用いられるものであって、医薬用ペクチンとして高メトキシペクチンが普通のものというものではない。そして、前記のように63重量%よりも小量の水溶性乾燥物質を含有する水性ラクツロースシロップは高メトキシペクチンではゼリー化できないものであったとしても、低メトキシペクチンの適用が予測し難いことを示すものではないので、ゼリー化剤として、エステル化したカルボキシル基が50%よりも少ないペクチンを用いることは、二者択一の選択にすぎず格別の発明力を要することではない。そうすると、引用例2のゼリー化剤として50%よりも少ない低メトキシペクチンを採用してみようとすることは、引用例3の記載に基づいて当業者が必要に応じて適宜なし得ることと認められる。

そうしてみると、本願発明の工程(a)及び(c)における前記事項は、引用例1ないし3の記載に基づいて当業者が容易になし得ることと認められる。

〈2〉 工程(b)について。

同工程においてゲル化剤として水溶性カルシウム塩等を用いることは、ゼリー化剤として低メトキシペクチンを選択したことによるものであるが、引用例3の前記記載からすれば自明のことにすぎないことであり、しかもその使用量も格別の条件ではない。また、同工程においてpHを2.5ないし5となるように調整しているが、ペクチン溶液の粘性はメチル化度、濃度、温度、pH、共存塩類の濃度によって変動しやすいことが知られているから(引用例3の231頁参照)、該低メトキシペクチンのゲル化において最適なpH条件を見いだすことは格別のことではない。

〈3〉 工程(a)ないし(e)において判断を示していない事項について。

ラクツロースをペクチンを用いてゼリー化するに当たり、他の水溶性添加物とともに水に20ないし90℃に加熱して溶解させ、ゼリー化のために然るべき調整されたそれぞれの溶液を混合、攪拌して次いで放冷する工程(a)、(c)、(d)及び(e)における各方法は、ゼリー化するための常套手段であって格別の方法、条件とみることはできない。

〈4〉 そして、本願発明により奏する効果は、各引用例の記載から予測し難い格別のものとは認められない。

(5)  したがって、本願発明は、引用例1、2及び3の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決の理由の要点に対する認否

審決の理由の要点(1)は認める。同(2)のうち、引用例2にラクツロース含有組成物の一形態としてゼリー形態で用いられること、ゼリー化剤としてペクチンが用いられることが記載されていることは争い、その余は認める。同(3)は認める。同(4)〈1〉(イ)は認める。同(4)〈1〉(ロ)のうち、引用例2には、ゼリー形態のラクツロース組成物の組成、用いるペクチンの種類及びその製造方法については明示されていないこと、シロップ組成物において50重量%ラクツロース、5重量%ラクトース、約8重量%ガラクトース、残部水からなるもの、乾燥組成物において約40重量%ラクツロース、約4重量%ラクトース、約6重量%ガラクトース、残部デキストリン、マルトースからなるものが示されていること、ラクツロースは便秘薬として知られていることから歯根膜炎の治療に対しては下痢を生じない程度の用量でラクツロース含有組成物を適用しなければならないことが記載されていることは認めるが、その余は争う。同(4)〈1〉(ハ)のうち、ゼリー化剤として用いられるペクチンとしては、引用例3に示されるように高メトキシペクチンと低メトキシペクチンが存在し、ゼリー化の条件は異なるが、食品、医薬品等にいずれも必要に応じて適宜に用いられるものであって、医薬用ペクチンとしては高メトキシペクチンが普通のものというものではないことは認めるが、その余は争う。同(4)〈2〉のうち、本願発明の工程(b)においてゲル化剤として水溶性カルシウム塩等を用いることは、ゼリー化剤として低メトキシペクチンを選択したことによるものであること、同工程においてpHを2.5ないし5となるように調整していることは認めるが、その余は争う。同(4)〈3〉は認める。同(4)〈4〉は争う。同(5)は争う。

5  審決を取り消すべき事由

審決は、本願発明と引用例1記載のものとの相違点についての判断を誤り、かつ、本願発明の効果についての判断を誤って、本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法として取り消されるべきである。

(1)  審決は、本願発明の工程(a)の63重量%よりも小量の水溶性乾燥物質を含有する水性ラクツロースシロップを、工程(c)のエステル化したカルボキシル基が50%より少ないペクチンでゼリー化することは、引用例1ないし3の記載に基づいて当業者が容易になし得ることであるとしているが、この判断は、以下述べるとおり誤りである。

〈1〉 審決は、上記判断の前提として、引用例2には、ラクツロース含有組成物の一形態としてゼリー形態で用いられること、ラクツロース組成物はペクチンでゼリー化できることが記載されている旨認定し、本願発明の前記工程におけるラクツロースシロップをゼリー化しようとすることは、引用例1及び2の記載に基づいて適宜になし得ることであるとしているが、誤りである。

本願発明のラクツロースをゼリーという剤型で提供するという着想は、従来、液体又は固体の形でラクツロースを投与する際に生じていた吐き気等の不便を避けることを目的として認識することにより初めて得られたものである。しかして、本願発明の方法によって得られる「ゼリー」は、ジャムに似た柔らかでなめらかな質感を有し、付着せずにスプーンで容易に、かつ正確に切ることができ、また無理に移動させた場合にも広がらない程度に十分な硬さを持っている。口中では、このような質感のゆえに、速やかに飲み込まれ、口中に拡散することもなく、シロップ投与の後のような吐き気感を患者に与えることもない。このようなゼリー形態を採ることによって、患者に受け入れられ易く、また、投与量の調節、調整の簡単な製品がもたらされるのである。

これに対し、引用例1には、ラクツロースをゼリー化することも、ゼリー形態の下剤組成物の製造方法についても全く触れられていないから、引用例1がラクツロースをゼリー化するという本願発明を示唆しないことは明らかである。

次に、引用例2の第2欄2行には、ラクツロースを「ゼリードロップ」の形で投与できるという記載はあるが、ゼリードロップは菓子であり、わが国に存する該当商品としては、例えばゼリービーンズやガムドロップなどであって、ゼリーではない。ゼリードロップは硬質のゲルから成形をして製造したものであって、その性状は固体に近く、本願発明によって生成されるゼリーとは、およそ形態を異にするものである。また、引用例2の発明には、本願発明が課題としている上記のような点についての認識はない。引用例2の発明は、歯周炎の局所的治療を前提とし、その際には、ラクツロースを口腔内の粘膜全体に拡散させてこれを被覆し、その効果が発揮されるのに十分な時間粘膜に接触させ続けることを想定しており、そのために、ラクツロースを菓子類として、流動性のない固体又は硬質のゲルの形態にしているのである。

本願発明は、ゼリーの形を採ることによって、口内に広がらずに迅速に飲み込ませてラクツロースの口腔との長い接触を避けることを狙っているのに対して、引用例2に記載されたゼリードロップは、むしろ逆の方向を示唆するものであって、明らかに異なるものである。

したがって、審決の上記認定、判断は誤りである。

〈2〉 次に、引用例3は、ごく一般的な文献であって、これによって医薬の分野における当業者の常識を論ずるのは相当ではない。また、本願発明は糖(ラクツロース)自体をゼリー化する方法に関するものであるが、引用例3は糖自体のゼリー化を想定したものではない。

したがって、引用例2のゼリー化剤として50%よりも少ない低メトキシペクチンを採用してみようとすることは、引用例3の記載に基づいて当業者が必要に応じて適宜なし得ることとした審決の判断は誤りである。

〈3〉 上記のとおりであるから、本願発明の工程(a)及び(c)は、引用例1ないし3の記載に基づいて当業者が容易になし得ることとした審決の判断は誤りである。

(2)  本願発明の方法によって得られる下剤組成物(ゼリー)は、上記(1)〈1〉のとおりの顕著な効果を奏するものである。

したがって、本願発明により奏する効果は各引用例の記載から予測し難い格別のものとは認められないとした審決の判断は誤りである。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認める。同5は争う。審決の認定、判断は正当であって、原告主張の違法はない。

2  反論

(1)〈1〉  引用例2に記載の「ゼリードロップ」は、ドロップのように一定の形状に成形されたものであり、それなりの硬さを有するものであろうが、その本質はゼリー形態のものであって、本来のドロップのように硬いものではなく、ゼリーが本来有する弾性的な変形性と容易に切断できる物性は保持しているものである。

したがって、本願発明のゼリーが原告の主張するような性状のものであるとしても、引用例2に記載のゼリードロップのゼリー形態のゼリーの性状とは程度の差のものであって、全く性状が異なるというものではない。また、本願発明によるゼリーが、原告主張のように、ゼリー本来の形状、すなわち不定形のものであるとしても、ゼリー形態のものとしては、成形されたゼリードロップとは単なる形状の相違にすぎないものであり、必要に応じて適宜に変換することができるものであって格別の相違ではない。

上記のとおり、引用例2に記載のゼリードロップは、ゼリー状の性状を有していて、硬さに多少の差はあるものの、少ない咀嚼により容易に小片に切断され、簡単に飲み込むことができるものであるから、口内に広がらずに迅速に飲み込ませてラクツロースの口腔との長い接触を避けるという本願発明と同様の効果を奏するものとみるべきである。

原告は、引用例2の発明には、本願発明が課題とするラクツロースを服用する際の吐き気等が存在する問題点の改善ということについての認識はない旨主張するが、ラクツロースは引用例1及び2に示されるように下剤、歯周病の治療に経口服用されてきたものであるから、上記の点が明示されていないとしても、同様の不快感は服用者にすでに認識されていたものとみるべきであり、ラクツロースの経口服用にはこのような不快感があるならば、シロップ以外の服用し易い、他の知られた剤型に変えてみようとすることは適宜できることである。

〈2〉  引用例2のゼリードロップは、医薬としてのラクツロースを食品の一つであるキャンディの形態として経口服用し易くさせようとしたものであることは明らかであり、ペクチンは食品のみならず医薬品にも用いられることは引用例3に記載されていることである。したがって、引用例2に記載のゼリードロップの調製において、ゼリー化剤として用いられるペクチンを検討するに当たり、ペクチンの食品のみならず医薬品のゼリー化についての技術を一般的に紹介している引用例3の記載はむしろ参照してみるべきことというべきである。

したがって、引用例3は、ごく一般的な文献であって、これによって医薬の分野における当業者の常識を論ずるのは相当ではない旨の原告の主張は、当を得ないものである。

(2)  原告が本願発明の方法によって得られる下剤組成物(ゼリー)が奏すると主張する効果は、引用例2のゼリードロップにおいてもほぼ同様に奏する効果であって格別のものではない。

第4  証拠

証拠関係は記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)、3(審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

そして、審決の理由の要点のうち、引用例1及び3に審決摘示の事項がそれぞれ記載されていること、引用例2に歯根膜炎の治療にラクツロース含有組成物が用いられることが記載されていること、本願発明と引用例1記載のものとの一致点及び相違点が審決認定のとおりであること、及び、「工程(a)ないし(e)において判断を示していない事項について」の判断(審決の理由の要点(4)〈3〉)については、当事者間に争いがない。また、工程(b)においてゲル化剤として水溶性カルシウム塩等を用いることは、ゼリー化剤として低メトキシペクチンを選択したことによるものであることは当事者間に争いがなく、このことと引用例3の記載によれば、「工程(b)について」の判断(同(4)〈2〉)に誤りはないものと認められる。

2  そこで、原告主張の取消事由の当否について検討する。

(1)  本願発明の(a)の63重量%よりも小量の水溶性乾燥物質を含有する水性ラクツロースシロップを、工程(c)のエステル化したカルボキシル基が50%より少ないペクチンでゼリー化することが、引用例1ないし3の記載に基づいて当業者が容易になし得ることであるとした審決の判断について検討する。

〈1〉  まず、本願発明の課題、及び本願発明により得られる下剤組成物の性状・形態についてみてみることとする。

本願明細書には、「本発明は新規なラクツロース含有組成物に関するものであり、本質的に人間の便秘の治療のためのものである。」(甲第2号証4頁末行ないし5頁2行)、「1930年に製造されたラクツロースは1960年頃、便秘の治療に溶液の形で使用することが提案されている。・・・この製品は種々の国でシロップの形で市販されている。・・・しかし、このシロップには欠点がある。それは砂糖のような甘味を伴う過度の臭みはしばしば反撥の原因となり吐き気を起こすことになる。長期間にわたる常習的投与の場合には、このシロップを繰り返し吸収しなければならないので老人患者の場合飽きが来る。投与量は一方では患者の種類(小児-成人)により、そして他方では患者の個人差により変わる。即ち、有効な投与量はケースにより、かつ個々の患者により左右され、シロップの凡その量の測定さえも、特に幼児の治療に使用する少量の場合には誤りが生ずる。これらの欠点を除くために濃縮ラクツロースシロップを脱水して粉末にする試みが行なわれて来た。・・・今迄ラクツロースを主成分とする組成物の調製の方法として記載されあるいは考えられて来たものはすべて複雑な技術を必要とし、従って複雑な装置が必要となるのである。本発明は粉末状又は偽似固体状のラクツロース製品をもたらした・・・従来技術を克服するものである。」(甲第2号証6頁3行ないし12頁2行)、「このようにして得られるラクツロース含有組成物はB型粘度計(ブルックフィールド粘度計)で測定した20℃の粘度が15,000乃至30,000センチポイズ、屈折率が20℃で1,430乃至1,445であり、pHが3乃至4のゼリーの形をしたものである。即ち、ラクツロース組成物は固体状で製造されず、ジャムに似た粘稠で切断容易なゼリー化状態で得られ、実質的にすべての必要な性質特に安定性及び投与形態への成形性を得ることができるのみならず、この製品の存在を隠した形で使用することも可能である。このように固体状態をくずすことにより不利益を伴うことなくこれらの利点を達成することが可能となったのであり、一方従来技術は固体状態を保持することを強く求めたのである。」(同号証13頁7行ないし14頁1行、甲第3号証2頁3行ないし5行)、「本発明の好ましい組成物の製造を例示するために200kgのバッチの調製を下記に述べる。・・・このゼリーをB型粘度計で測定して20℃で22,000センチポイズの粘度を有し、かつ20℃の屈折率は1.438であった。このゼリーは食用ゼリーと同様の外観と質感とを有していた。そして、スプーンで容易にかつきれいに切ることができ、ガラスやプラスチック製の容器に付着しなかった。この取り扱いの容易さはその剛性によるものである。このゼリーは流動性はないが好ましい味覚を与えるに十分に柔軟であった。」(甲第2号証18頁18行ないし20頁19行)、「40℃よりも高温になると液化する傾向にあるが冷却すると最初の状態に戻った。」(同号証21頁2行ないし4行)、「このゼリーは30℃以上で液化する傾向があったが15乃至20℃に冷却すると元の状態に戻った。」(同号証22頁4行ないし6行)、「本発明のゼリーのコンディショニングはジャムに用いる種類の通常の容器中で行なった。このラクツロースゼリーは一回服用量の形にするのに特に適しており、シロップの形の場合は実用的ではなく、粉末の場合は吸湿性が大きいため不安定となる。一回服用量の形にすることのできる利点は次の通りである。吸収される服用量を確実にすることができる。多数に分割する場合の汚染を避けることができる。・・・ゼリー状の質感を有するため使用が容易であり確実である。・・・特に幼児の治療のために簡単に分割することができる。・・・ゼリーは8乃至50gの一回服用量の形に分けることができる。」(同号証24頁11行ないし25頁17行)と記載されていることが認められる。

本願明細書の上記記載によれば、便秘の治療に有効なラクツロースをシロップの形で用いる場合には、甘味を伴う過度の臭みによる吐き気を起こさせたり、有効な投与量の測定が困難であるといった欠点があり、一方、これらの欠点を除くために考えられた粉末状あるいは偽似固体状のラクツロース製品は複雑な技術や装置を必要としたり、また、粉末の場合には吸湿性が大きいため不安定になるといった欠点があるという知見のもとに、本願発明は、これらの点を解決すべく、前示要旨のとおりの構成を採択したものであり、本願発明の方法により得られる下剤組成物は、ジャムに似た粘稠で切断容易なゼリー化状態のもの、30℃ないし40℃以上では液化する傾向にあるが、15℃ないし20℃に冷却すると元の状態に戻るといったもので、スプーンで容易に、かつきれいに切ることができ、容器に付着しないといった取り扱いの容易さや、好ましい味覚を与えるに十分な柔軟性を有するものであって、患者に受け入れられ易く、また、容易に投与量を測定・調節することができるという性状・形態を有するものであると認められる。

なお、本願発明の工程(a)において、水溶性乾燥物質のシロップの中の含量を63重量%よりも小量としたのは、その含量以下では医薬用として通常用いられるメトキシ化率50%以上の高メトキシペクチンによってはゼリー化できないが、それ以下の低メトキシペクチンによればゼリー化できることによるものであることについては、当事者間に争いがない。

〈2〉  ところで、引用例1には、ラクツロースを主成分とする下剤組成物は記載されているが(このことは当事者間に争いがない。)、ラクツロースをゼリー化することについては全く記載されていない。

引用例2には、ラクツロースが便秘薬として知られていることから歯根膜炎の治療に対しては下痢が生じない程度の用量でラクツロース組成物を適用しなければならない旨記載されているが、ゼリー形態のラクツロース組成物の組成、用いるペクチンの種類及びその製造方法については明示されていないこと、シロッープ組成物において50重量%ラクツロース、5重量%ラクトース、約8重量%ガラクトース、残部水からなるもの、乾燥組成物において約40重量%ラクツロース、約4重量%ラクトース、約6重量%ガラクトース、残部デキストリン、マルトースからなるものが示されていることについては、当事者間に争いがない。

そして、引用例2(甲第6号証)には、「本発明によれば、少量であるが効果的な量のラクツロースを経口投与することにより歯周病を患っている哺乳動物を多くの場合良好に治療できることが判った。・・・ラクツロースは便秘の治療にも使用できることが知られている。しかしながら、本発明の方法を実施するに際して投与される好ましい投与量である10グラム/日では下痢が生じることはないであろう。・・・ラクツロースは固体状で、単独でまたはグルコース、ガラクトース若しくはラクトース等の1以上の担体と混合して投与することも可能である。しかし、十分に満足な方法は、ラクツロースをシロップの状態、例えば、約50重量%のラクツロースと約5重量%のラクトースと約8重量%のガラクトースと残部の水とを含有して成るシロップの状態でラクツロースを投与することである。・・・乾燥組成物は、約40重量%のラクツロースと約4重量%のラクトースと約6重量%のガラクトースと残部のデキストリン、マルトースとを含むことができる。ラクツロースは、各々2~3グラムのラクツロースを含有するゼラチンカプセルに含有させて投与することもできる。別法として、ラクツロースは、各々3~5グラムのラクツロースを含有する菓子、キャンディ、ゼリードロップ、ガムドロップ等に調製することもできる。・・・患者の歯がしっかりしている場合は、1個当り1/2乃至2グラムのラクツロースを含有するチューインガムを処方することもできる。」(第1欄4行ないし第2欄11行)と記載されていることが認められる(但し、シロップ組成物及び乾燥組成物については、上記のとおり当事者間に争いがない。)。

上記のとおり、引用例2には、ラクツロースを「ゼリードロップ」に調製して投与することが可能であると開示されているが、キャンディやガムドロップと同列で記載されていることから、これらのものと同様の性状・形態を有するものと考えられるところ、甲第10号証に引用されているウエブスター辞書には、「キャンディ」は「味付けされ、着色され、時には木の実や果実が加えられることもある砂糖またはシロップでできた固体の菓子」と、「ガムドロップ」は「甘味を付けられたアラビアゴムまたはゼラチンから作られ、通常着色され、風味付けされ、砂糖で被覆されて、硬質のゼリー状の粘りを備えたキャンディの小粒」とそれぞれ定義されていることからみて、ゼリードロップは、かなり硬質のゼリー状のものであって、本願発明によって得られるゼリー化された下剤組成物の、「ジャムに似た粘稠で切断容易なゼリー化状態」、「食用ゼリーと同様の外観と質感とを有していて、スプーンで容易に、かつきれいに切ることができ、ガラスやプラスチック製の容器に付着しない」、「流動性はないが好ましい味覚を与えるに十分に柔軟である」、「30℃以上で液化する傾向があったが、15乃至20℃に冷却すると元の状態に戻った」といったものとは、性状・形態において基本的に相違するものと認めるのが相当である。

そして、引用例2には、ラクツロースの投与方法について、上記のとおり、「十分に満足な方法は、ラクツロースをシロップの状態で投与することである。」と記載されているように、引用例2の発明においては、本願明細書に記載されているような、ラクツロースをシロップの状態で投与することによる問題点は認識されていないものと認められるし、また、引用例2には、ゼリードロップ化の対象が経口投与用として示されているシロップであることの記載はなく、ラクツロースをゼリードロップに調製することの意図あるいは利点について何ら示唆するところもない。

以上によれば、引用例1及び2から、本願発明の上記性状・形態を有するゼリー化した下剤組成物を得ることは容易に想到し得ることとは認められず、したがって、本願発明の工程(a)、(c)における63重量%程度の水溶性乾燥物質を含有する水性ラクツロースシロップをペクチンでゼリー化しようとすることは、引用例1及び2の記載に基づいて当業者が適宜なし得ることであるとした審決の判断は誤りであるといわざるを得ない。

〈3〉  被告は、引用例2記載のゼリードロップは、ゼリーが本来有する弾性的な変形性と容易に切断できる物性は保持しているものであり、本願発明により得られるゼリーの性状・形状とは程度の差、あるいは必要に応じて適宜変換することができるものであって、格別相違するものではない旨主張する。

引用例2記載のゼリードロップが多少弾性的な変形性を有するとしても、本願発明により得られるゼリー化した下剤組成物の上記のような性状・形態を有するものとは認め難く、また、単なる程度の差、あるいは適宜変換可能なものとも認め難いから、被告の上記主張は採用できない。

また、被告は、引用例1及び2に示されるように、ラクツロースは下剤、歯周病の治療に経口服用されてきたものであるから、シロップによるラクツロースの経口服用に不快感があるならば、シロップ以外の服用し易い、他の知られた剤型に変えてみようとすることは適宜できることである旨主張する。

しかし、引用例1及び2には、シロップによるラクツロースの経口服用について、本願明細書に記載されているような不都合があることの認識はもとより示唆もないし、また、本願発明がラクツロース組成物をゼリー化したのは、シロップ服用による不快感を解決するためだけではなく、有効な投与量の測定・調整等をも意図するものであるから、被告の上記主張は採用できない。

〈4〉  なお、ゼリー化剤として用いられるペクチンとしては、高メトキシペクチンと低メトキシペクチンが存在し、食品、医薬品にいずれも必要に応じて適宜用いられるものであって、医薬用ペクチンとしては高メトキシペクチンが普通のものというものではない(このことは当事者間に争いがない。)から、本願発明においてゼリー化剤として低メトキシペクチンを採用することは当業者が必要に応じて適宜なし得ることであるとした審決の判断には誤りはない。

〈5〉  以上のとおりであるから、本願発明の工程(a)及び(c)における前記事項は引用例1ないし3の記載に基づいて当業者が容易になし得ることであるとした審決の判断は誤りであるといわざるを得ない。

(2)  次に、本願発明によるゼリー化された下剤組成物は、上記(1)〈1〉において認定したような取り扱いの容易さ、患者への受け入れられ易さ、投与量の測定・調節の容易さといった利便性を有するものであるところ、これらの効果は、引用例2記載のゼリードロップが有するものではなく、また、引用例1ないし3の記載からは予測し難いものというべきであるから、本願発明により奏する効果は、上記引用例の記載から予測し難い格別のものとは認められないとした審決の判断は誤っているものというべきである。

(3)  以上のとおりであるから、本願発明は引用例1ないし3の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるとした審決の判断は誤りであり、原告主張の取消事由は理由がある。

3  よって、原告の本訴請求は理由があるから認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)

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